赤城神社は主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神様をお祀りし、古来人々の守護神として信仰されてまいりました。
清らかな頂きから流れる水は、生命に命を与え、田畑の稔りをもたらします。
また、勇壮なる山なみは力強さを、四季折々の景色は優しさと美しさをあらわし、その山容と景観、神秘的なたたずまいは、仰ぎ見る人々の心を捉えてまいりました。

その信仰は太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(その後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。
この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

神仏習合気には、はば広い信仰を集め、神社の規模も大きく発展し御神域も赤城山全体におよぶほどになり、朝廷より御神位を賜り、承和六年(839年)にはじまり、元慶四年(880年)には赤城沼神として昇叙し、長元年間(十一世紀)には正一位に叙せられております。

江戸時代に至り、相殿に東照大権現・徳川家康公をお祀りし、将軍家をはじめ諸大名の信仰厚く、三代将軍徳川家光公は寛永十九年に、社殿の再建を命じられました。
また、厩橋(前橋)城主は、自ら大祭に参列され、平和と安全を祈願されておりました。
厩橋城内をはじめ、各地に分社が勧請され、山開き例大祭には近隣の村々や、遠く、武蔵・安房・上総・常陸・越後の国々からも参詣者が訪れました。
赤城山登山口八か所に、鳥居が設けられ、これらは、近隣の村人によって奉納されたものです。
このうち、厩橋城主が登拝した参道の鳥居(前橋よりの登山口)を、一の鳥居と呼んだのです。
この頃、上祇伯白川家より「上野國総社大洞赤城神社」吉田家より「正一位赤城大神宮」の称号が贈られております。
これは、当時の赤城神社への信仰のほどを物語るものです。

明治20年〜43年の間、小沼畔・豊受神社、小鳥ヶ島・厳島神社、黒檜山頂・高於神神社をはじめ、赤城山内の神社を合祀いたしました。
寛永十九年(1642年)徳川家光公の命により再建された社殿は、三百年以上に亘る赤城山の厳しい気候により荒廃したため、昭和45年、凡そ千二百年鎮座した大洞の地をあとに、小鳥ヶ島・厳島神社の跡地に御遷宮されました。

平成十八年(2006年)大洞御遷宮千二百年祭を奉祭斎し、社殿の修復と境内地の整備が行われております。